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歴史の街、ツーソン(1)

 ツーソンは、アリゾナ州でフェニックスに次いで人口が2番目に多い市である。州内では最も古い州立大学であるアリゾナ大学を中心に、教育と文化の街として発展してきた。

 今月から数回にわたって、このツーソンを歩いてみよう。

右写真:ツーソンのAマウンテン
ツーソンはアリゾナ南部に位置し、メキシコ国境に近い。この地理的環境がユニークな文化環境を作り上げている。
ツーソン郊外のソノラ砂漠博物館前に立つ標識「コヨーテに食べ物を与えないで」
ツーソンの地理

 ツーソンは、標高の高い山々に囲まれた盆地である。そこに流れるサンタ・クルーズという川は、古代先住民の時代からツーソンにとって重要な水の供給源としての役を果たしてきた。この川は、ツーソン南方のツマカコリ山脈を源とし、アリゾナ中部を流れるヒラリバーの川に合流してきた。

 ツーソン周辺の山脈は、7千万年前の火山活動で地上が隆起して出来上がったものだ。

古代のツーソン周辺

 アリゾナの南部の町、シエラビスタで牧場を営んでいたエド・リーナーが牧場で妙な形をした骨が川の水面から出ているのを見つけた。1955年の話だ。彼は早速、ツーソンのアリゾナ大学考古学者、エミル・ホーリー教授に電話をしてみた。この「妙な」骨は、リーナー家の自宅付近に流れる小川から突き出ているように見え、異常なほど大きな骨だった。

 考古学者は調査を始め、思いもかけない過去が明らかになった。この骨は、最後の氷河時代に生きていたマンモスの骨だったのだ。しかし、それだけではなかった。このマンモスの骨は、きちんと切断されていて、矢のように先が尖っていたのだ。つまり、マンモスが生きていた時代に人間がこの地にいて、マンモスを殺し、その肉を食べて、骨を武器として使っていたということがわかった。それは、今から11,000年も前のことだった。

 つまり、ツーソンにはすでに先住民が生活をしていたことが判明した。そして、この先住民たちは、遠い昔にアジア大陸から陸続きだったベーリング海峡を渡って、アメリカ大陸に移ってきた古代人だったのだ。少なく見積もっても、ツーソンは11,000年前に石器時代にあって、人々が狩猟生活をしていたことが確認された。

その後の古代先住民は

 氷河期が終わり、温度が高まってきて、ツーソンは乾燥した砂漠地帯となった。しかし、現地の先住民は、狩猟と砂漠で繁殖したトウモロコシを採って食料としていた。紀元前数千年ころのことだ。同じ頃、ツーソンよりもっと南のメキシコには、マヤ古代文明が出現し始めた。マヤ文明は、土器を発達させ、周囲の地域にも影響を与えた。日本では縄文文化から弥生文化へと移行していく頃である。

 ツーソンの先住民たちは、何らかの影響を受けたかもしれないが、狩猟を中心とした生活には変化がなかったようだ。

ホホカム族の時代

 紀元1世紀ころから、明らかな変化がツーソン一帯に現れてきた。それは、ホホカム族と呼ばれる古代人がツーソン一帯に移住してきたからだ。彼らがどこから移住してきたのかは明らかでない。メキシコから北上してきた民族かもしれないし、全く違う遠方から来た人々かもしれない。

ホホカム文化

 ホホカム族は、それ以前に住んでいた古代人とは全く異なった生活形態をアリゾナに持ち込んだ。まず、村落を形成した。村落の共同体では、泥を使った竪穴式住居を作った。泥でできた住居は、夏は涼しく、冬が暖かい。そして、もっとも顕著なホホカム族の特徴は、農業用水路だ。乾燥した砂漠地帯で水を確保するために、主要な川から水を引けるように用水路の工事をした。フェニックスでは、ソルトリバーの川。フェニックスとツーソンの中間では、ヒラリバーの川。そしてツーソンでは、サンタ・クルーズの川が流れていた。

 西暦1000年ころには、北はフラッグスタッフ、南は現在のメキシコ国境までの広範囲にわたってホホカム族の村落が点在していた。

 ホホカム族の特徴は、彼らが遺した陶器にも現れている。黄褐色に赤の模様が入った容器や鳥や動物の形をした陶器などを作った。彼らの芸術作品は、現代の人々の目を魅了するものばかりだ。中には、貝殻を使ったものもあり、カリフォルニアの海岸付近の先住民と交流があったことがわかる。

 その他、競技場もホホカム文化の特徴だ。競技場の両端にゴールを設置し、ゴムで作ったボールを二つのチームが打ち合ってゴールに入れるのを競った。競技場の壁は、泥で作り、グラウンドは、固く平らにしてある。

ホホカム文化の変化

カサ・グランデの遺跡

 こうした特異な文化を築き上げたホホカム族も、13世紀頃から大きな変化を見せ始める。多くの大規模な村々から住民が去り、新たな文化が他の地域から流れ込んで来た。そして、ホホカムの独自な文化が消滅していった。とりわけ、ツーソン付近では、アリゾナ東部やニューメキシコ西部の陶器が一挙に普及し始めた。

 村や住居の形態も変化する。これまでの簡単な縦穴式住居から、アドビ調のしっかりした壁で多くの部屋が中庭を囲むように作られ、高度な技術を要する建物を持つようになった。この顕著な例が、ツーソンとフェニックスの中間に位置するクーリッジの町で見つかった。それが「カサ・グランデ」である。

 また、死人を埋葬する方法にも変化が現れた。それまで何百年の間、死体を火葬し、遺灰と骨を陶器に入れ、それを埋葬していた。ところが、カサ・グランデが作られた頃になると、土葬が一般的になり、火葬は極めて少なくなっていった。土葬では、遺体と一緒に陶器や宝石類を埋葬するやり方は、東洋によく見られる方式である。

 こうしたホホカム族だが、1450年までに突然、完全に姿を消してしまう。今もってミステリーである。

スペイン人の到来

 ホホカムが去った後、次にこの地に来た人間は、スペイン人だった。イエスズ会の修道士、キノが現在のツマモク・ヒル(Tumamoc Hill)に着いたのは、1692年9月27日だった。ここには、ピマ族の村があった。その後、ツーソンの名前が西洋の地図に現れた。これは、修道士パドレ・アウグスチヌス・デ・カンボスがツーソンの集落を発見し、この地を「セント・アグスチヌス・デル・オイダク」と呼んだ。要は自分の名前をつけた地名にしたのだ。その意は、「聖アウグスチヌスの地」。ところが、地元のピマ族がこの地を「ツーソン」と呼んでいた。それはどんな意味なのだろうか。学説が色々あって、確かではないが、「黒い丘の麓」、あるいは「黒い泉」という意味らしい。そこで、ツーソンは、「サン・アウグスチン・デル・ツーソン」と呼ばれた。つまり「ツーソンの聖アウグスチヌス」という意味だ。

フランシスコ・キノ

サン・ザビエル・デル・バック

 スペインの修道士の目的は、キリスト教の布教だ。スペインから多くの修道士が北米に送られて来たが、彼らは、原住民を強制的に改宗しようとして、反感を買った。

 しかし、フランシスコ・キノは、全く違う方法で原住民に接していった。まず、彼らの中に溶け込み、信頼と尊敬を勝ち取ったのだ。

 1700年までには、ミッションと呼ばれる宗教共同体がツーソンの南のパパゴ族の集落に作られ、サン・ザビエル・デル・バックという教会が建設されるまでになった。1711年に息を引き取るまで、キノは精力的に現地人の中に入ってキリスト教への改宗を進めた。

ピマ族の反乱

 キノの死後、スペイン人と原住民との間に亀裂が生じ始めた。スペインは、イエスズ会の修道士を次々と送り込んで来たが、彼らの人格、努力、エネルギーは、キノの比ではなかった。

 1736年、アリゾナで銀河発見されると、多くのスペイン人が押し寄せて来た。これが、ピマ族の怒りを買った。

 1751年、ピマ族は反乱を起こし、スペイン人を次々と殺していく。そこにアパッチ族も加わって、反乱は過激になっていった。しかし、何と言っても軍事力のあるスペインだ。強力な軍事力で現地人を圧倒し、ピマの反乱を押さえ込んだ。

ツーソンの正式な出発

  1772年、スペインはフランシスコ会修道士のガルセスをサン・ザビエル・デル・バックに派遣した。ガルセルは、キノの例に習って、精力的に現地人の中に溶け込み一年でピマ語をマスターするまで努力を見せた。スペインは、プレシディオの建設を目指していた。プレシディオとは、スペイン軍駐屯地のことだ。スペインは、こうした要塞を作ることで、スペイン人を外敵から守るだけでなく、スペインの勢力拡大の要地とした。

 スペインは、サンアントニオに駐留していた軍人オコノーに、アリゾナにおける最適なプレシディオの場所を見つけることを命じた。オコノーは、アリゾナに来て、ガルセルと会い、二人でその適地を見つけるために馬に飛び乗った。

 1775年、二人は現在のツーソンに向かって馬を走らせていた。そして、サンタ・クルーズ川の沿った農地を見つけた。川の東岸にたどり着いた彼らは、この場所こそ最適であると結論つけたのだ。

 オコノーは、その夜、サン・ザビエル・デル・バックに戻って、次のような命令書を書いた。

 「フランシスコ・ガルセル牧師とホアン・デ・カルモナ大尉の同席のもと、サン・アウグステイン・デル・ツーソンを新たなプレシディオの地として選択し決定するものである。当地は、ツバックから18リーグの距離にあり、水、放牧地、木などの条件を満たし、アパッチ族のフロンティアに近距離な場所である。新プレシデイオの指定は、私、フランシスコ・ガルセル牧師、ホアン・デ・カルモナ大尉の署名によって公式のものとする。  サン・ザベイル・デル・バック似て。1775年8月20日」

 これが、ツーソンの正式な出発の日となったのだ。

 
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