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インディアン・スクール、今と昔

 全米各地にインディアン寄宿学校が建設されたのが、19世紀後半。アメリカ連邦政府のインディアン政策の変遷とともに、インディアン・スクールも変化を遂げてきた。フェニックス・インディアン・スクールは、1990年の閉校まで全米のアメリカ・インディアンの子供達が集い、悲喜こもごもの歴史を残してきた。

 閉校後のフェニックス・インディアン・スクール跡地をフェニックス市が買い上げ、最近、公園庁が「ステール・インディアン・スクール公園」として蘇らせた.

 今月は、このインディアン・スクールの現在と過去を探ってみよう。

 1890年に連邦政府は、160エーカーものフェニックスの農地を買収した。支払額は当時の金額で9,000ドル。なぜか。それは、この土地にフェニックス・インディアン・スクールを建設するためだった。そして、翌年1891年にその学校は開校した。その後1990年の閉校まで、約1世紀の間、ここで、アリゾナやアメリカ南西部のアメリカ・インディアン、つまり先住民の子供を教育する場として存在した。

 このような「インディアン・スクール」は、当時、フェニックスだけでなく、全米各地に生まれた。では、なぜ政府がわざわざこのような学校を作ったのだろうか。

 それは、連邦政府のアメリカ・インディアン政策の一貫だったのだ。19世紀後半には、全米各地でアメリカ・インディアンとの戦いが頻繁にあり、連邦政府は、その戦争経費に頭を悩ませていた。そこで、彼らをいわゆる「居留区」に追いやり、反発する彼らを武力で押さえつけてきた。

 しかし、その経費と損傷は多大なものだった。そこで政府にある提案を促した者がいた。その提案とは、「このままインディアンを殺し続けるより、その子供たちを一箇所に集め、再教育することによって、将来、争いを避けることの方が賢いやり方である」ということだった。こうして、いわゆるインディアンの「文明化」をしようとした訳だ。「文明化」とは聞こえは良いが、つまり「白人化」ということで、彼らの背景にある一切の伝統文化や言語を剥奪し、白人の生活スタイルを植え付けつことだった。言語は英語を強要し、宗教はキリスト教を押し付けた。

 この「文明化」を政府に扇動したのが、リチャード・ヘンリー・ブラットという米軍の将校だった。彼は、バージニア州のハンプトン師範農業学校にインディアンを就学させて、満足のいく結果を得たと言う。このハンプトン師範農業学校は、もともと黒人を教育するための学校で、現在のハンプトン大学の前身である。そこには、白人が黒人を教育するという思想があった。

 ブラットは、まず、政府から資金を受け、ペンシルバニア州のカーライルに学校を創立。そして、アメリカ・インディアンの子供たちを親元から離して白人教育をすることにした。

 これが、初のインディアン・スクールとなり、その数年後、同様な学校が全米各地でできることになる。

 1884年、政府はチロッコ・インディアン農業学校を現在のオクラホマ州に創立し、インディアン・スクールとなる。その他、カンザス州、カリフォルニア州、オレゴン州、アリゾナ州(フェニックス)、そして、ニューメキシコ州に次々と学校が出来上がった。

 それでは、どんな教育が始まったのだろうか。インディアン・スクールに到着するや否や、子供たちは厳しい軍隊式の訓練を受けた。

 まず、今まで着ていた服を脱ぎ捨て、政府指定の服と軍服が与えられる。髪は短く散髪し、シラミ避けの灯油を頭髪につけ、櫛でしっかりととかされた。

 学校内では、彼らの部族の言語は一切厳禁となり、英語を強要される。そして、あらゆるインディアン文化関係の行動は厳しく禁じられ、少しでもインディアン的な行動をとると体罰を受けた。個人の名前も、インディアンの名前がついた子供は、「適切に文明化された」英語の名前に変えなければならなかった。男女は厳しく分離された。

 教育方針も、行進や体操法など筋肉を作り上げる練習が重んじられ、学術的な向上は重視されていなかった。

 また、10代の生徒を白人の家庭に送り、労働させるプログラムもあった。これは、都会に住む中産階級の白人家庭が選ばれ、家事や畑仕事をさせることだった。その目論見はインディアンのレベルを低い経済レベルに保ち、しかも労働力を確保することを目指していた。

映画「Into the West」から

 インディアン伝統の抹殺を目的にしたこの教育は、校内の風紀に影響を及ぼした。多くの子どもたちは、ホームシックに陥り、学校の寄宿舎から逃亡する生徒があとを絶たなかった。校内には、倦怠感が蔓延し、学力低下は甚だしかった。

 その上、インディアン・スクールの中で、肺結核が蔓延し始めたのである。この現状に対する連邦政府の対策は皆無で、「学校に入学してくる子供の多くは、先天的に病気になりやすい体質で、とりわけ肺結核になりやすい」とまで言ってのけ、対処をしなかった。

 後に、科学者や医者たちが事実を調べ、肺結核の感染は、団体生活によって広く広がったのであって、人種的な問題ではない、と表明した。

 
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