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グレンデール、120年の歩み(3)

 第二次世界大戦後のグレンデール

 グレンデールの人口は、戦後引き続き増加していった。農場が売りに出され、住宅街と変身していく。1945年、グレンデール市は、住民の要請に応じ、下水道の完備、新たな道路の工事、警察官の雇用などに着手した。1947年から1948年の間に、グレンデール市内の全ての道路が舗装化し、全米で注目を浴びた。その他、公立学校、病院が誕生し、都市化への道を歩み始める。

 

現在のグレンデール

 1950年代の発展に大きく貢献した一人が、ジョンF.ロングだった。彼は、グレンデール・ユニオン高校を卒業した後、結婚。新婦の名前は、メリー。彼は、メリーに家を建てることを約束し、ローンで資金を調達し、自分の工具で家を作り始めた。

 新居が完成すると、その家を売却してその売上金で建設会社を設立した。この事業に成功すると、グレンデールの南に住宅街を建設した。最新の家電設備を備えたモデルハウスは、全米の関心を呼び、このモデルハウスを見るために毎日5,000人が長い列を作っていたという。この住宅街を彼は、メリーヴェイルと命名した。

 1961年、グレンデール市は、このメリーヴェイルを合併し、市の面積を拡大した。このことで、グレンデールは、アリゾナ有数の大きな町となった。

 さらに発展するグレンデールは、1965年にグレンデール・コミュニティー大学を開校。1988年には、アリゾナ州立大学(ASU)西キャンパスの開校によって、グレンデールに若者の活気が生まれてきた。

 また、NFLのアリゾナ・カーディナルスの競技場、NHLのフェニックス・コヨーテスアの競技場等、新たなプロスポーツのスタジアム参入で、新たな市の成長が見込まれている。

 
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