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テオティワカン遺跡と杉山三郎博士

 謎の巨大都市、テオティワカン。メキシコにある巨大な都市遺跡で壮大なピラミッドと神殿群が立ち並ぶ。この古代遺跡の謎に挑戦し、ロマンに満ちた研究を続けてきた一人の日本人考古学者がいる。杉山三郎博士は、テオティワカン遺跡の発掘に多大な功績を残し、今もさらなる謎の究明に情熱を燃やしている。テンピのアリゾナ州立大学(ASU)の研究教授として活躍し、日本、アリゾナ、そしてメキシコの三国を跨いで行動してきた。
今、フェニックス美術館で「テオティワカン、水の都市、火の都市」と題してテオティワカン遺跡の出土品展示会が開催されている。この出土品の数々には、杉山博士の並々ならぬ努力の結晶が見られる。
 今月は、フェニックス美術館で行われた杉山博士の講演会に立ち寄り、お話を聞いてみた。

Your Collaboration Matters Inc.とアリゾナ日本文化クラブが
共催して行った特別講演会。
「テオティワカン遺跡と私」と題して
講演する杉山博士。

テオティワカン遺跡の出土品

テオティワカン遺跡(写真提供:杉山三郎博士)

 紀元前2世紀から紀元7世紀頃まで繁栄した都市文明で、当時のアメリカ大陸では最大規模の都市を建設していた。
 地理的にメキシコ中央高原にあるこの一帯は、気候に恵まれ、多くの動植物も繁殖している。この地には、氷河時代にアジアとシベリア大陸から、当時陸続きだったベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に来た人々が、さらにアメリカ大陸を南下して定住したとみられる。何千年も前から、ここで農業が行われていたことがわかっており、古代文明の発芽があった。
 ちなみにジャガイモやトマトは、この一帯で栽培され始め、16世紀に来たヨーロッパ人が自国に持ち帰ったことから世界各地で広く栽培されるようになった。また、トウモロコシもこの地で生まれ、もともと親指大の大きさのものが、5,000年もかけて今の大きさになったという。
 こうして農村村落が成立し、テオティワカンの地にますます多くの人たちが集まり始め、都市建設が始まった。そして、このテオティワカンが「メソアメリカ」の中心都市となったのである。

 

 

 メソアメリカとは、メキシコと中央アメリカ北西部に共通する農耕文化やマヤ、テオティワカン、アステカなどの高度文明が繁栄した文化領域を指す。「メソ」とは、ギリシャ語で「中央にある」という意味で、中央アメリカの地域に発展した古代文明を総称する。そこでは、神殿ピラミッドが建設され、宗教儀式、二十進法、精緻な暦法、絵文字、独特な建築技術が創出された。また、周辺文明都市との交流も顕著で、翡翠やその他装飾品などが交換されていた。
 メソアメリカ文明は、アジア、ヨーロッパ、アフリカの三大陸から何世紀も地理的に完全に孤立した状態が続いたため、他大陸からの影響は皆無のまま独自に繁栄してきたのだ。しかし、15世紀にヨーロッパからコロンブスがこの地に着き、その後、スペイン軍が侵入することで、メソアメリカ文明は消滅していく。

   

 テオティワカンの人々は、実によく天文の知識を極めていた。彼らの宇宙観は、現代の天文学者も驚くほど緻密であり、また壮大だった。この彼らの宇宙観が宗教観を確立し、正確に計算された都市計画が打ち立てられた。「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」と呼ばれる二つの巨大ピラミッドが建設され、アパート形式の住宅が並んだ。そこには、およそ10万人以上の人たちが住んでいたと見られる。そして、その中央に「死者の大通り」がまっすぐ約5キロにわたって横たわっている。
 このピラミッドや大通りの名前は、実は、彼らがつけたものではない。実際、これまでの発掘では、未だに、どういう人がいて、どんな言語を使い、どんな指導者がいたのかは、解明できていない。
 このテオティワカン文明が謎の消滅をしたのは、紀元8世紀頃だ。それから800年も後に、アステカ人が廃墟となったこの大都市を発見する。そして、彼らは、この廃墟を「テオティワカン」と呼んだ。その意味は、「神々の都市」。二つのピラミッドとその間にある大通りも彼らが命名したのである。

   

 杉山氏は、現在、愛知県立大学名誉教授でアリゾナ州立大学研究教授。1952年に静岡県焼津市生まれた。高校卒業後、東京経済大学に入学した。当時まだ、学生紛争の火が日本中の大学でくすぶっていた。世界は冷戦の最中で、ベトナムでは泥沼の戦争が続いていた。
 こんな情勢の時勢で、杉山氏は何かを模索していた。そして、20歳の時、思い切って日本を発つことにした。この旅は、若い彼が人生における何かを求めるための船出となった。旅を決意した彼は、短時間で旅費を稼ぐことから始めた。そこで見つけたのが「ばらし屋」の住み込みアルバイトだった。これを半年して、資金を貯めた。「ばらし屋」とは、建築物のコンクリート型枠などを解体する仕事で、肉体的にも精神的にもきつかったが、耐えて目標完遂を目指した。

写真提供:杉山三郎博士

写真提供:杉山三郎博士

 こうして、資金を貯めた彼は、早速、たった一人で横浜から船に乗り込み、ロシアのウラジオストックまでたどり着いた。初めての海外旅行だが、それは、想像を絶する未開の旅となった。ウラジオストックから列車に乗り、その後、軍事用プロペラ機に飛び込んで、ようやくモスクワにたどり着いた。そして、ロシアからヨーロッパ各地を巡り歩いた。冷戦下で東西に分断されていたドイツにも行き、共産側の東ベルリンも歩いた。第二次世界大戦後、すでに30年弱の時間を経ていたが、戦争の爪痕は、まだ残っていた。ヨーロッパのあと、トルコ、イラン、アフガニスタン、インドと足を伸ばし、イスラム教国とヒンズー教国の地を体験した。
 この半年の旅で、杉山氏言わく、「人生観が変わった」。日本にいたら、まず見る機会がない多くのものを目撃して来た。誰かに育てられて来た自分が、今度は自分で自分自身を作っていくのだ、と思った。

   

 日本に帰って来てしばらくすると、考古学をしている友人と会う。これが彼の考古学への道を開く門となった。縄文・弥生時代の遺跡から発掘された出土品を研究する。出土品を手にして、時間の深さをしみじみと感じるようになった。こうして、いよいよ考古学の道にのめり込むようにして学んだ。日本の考古学者の権威も訪ねた。とにかく、積極的に前に進んだ。日本で3年間学んだ。その頃、彼は、アメリカ大陸の遺跡に興味を持つようになっていた。日本では、遺跡の発掘は、かなりし尽くされており、発掘そのものよりも出土品の研究が主となっていた。だから、まだ新たな発掘の可能性が大きく残っている場所が魅力的だった。しかし、もっと学びたくても、当時の日本の大学で「メソアメリカ」を教えてくれる所はなかった。

   

 そこで、24歳の時にメキシコ行きを決意する。再びたった一人で日本からロサンゼルスに着き、グレンハウンドバスでアリゾナのグランドキャニオンを訪れ、そして、フェニックスを通過して、最後にメキシコに入った。途中ヒッチハイクもしたという。
 そして、メキシコの研究所に入り、遺跡発掘現場でボランティアとして働かせてもらった。日本で学んだ細かい測量技術や写真技術、発掘技術が生き、重宝がられた。そして、1978年にメキシコ国立人類学歴史学研究所に入所が決まる。1980年には、メキシコ大統領が音頭を取って、大統領令でテオティワカンとアステカの遺跡発掘プロジェクトが始まり、杉山氏は、日本人研究者としてプロジェクトに参加。その後、1988年に米国マサチューセッツ州ブランダイス大学の大学院に進学した。そして、アリゾナ州立大学の考古学の権威で、テオティワカン遺跡を広く世界に紹介したジョージ・コーギル博士の招きもあり、アリゾナに移り、1995年にアリゾナ州立大学で人類学博士号を取得した。

写真提供:杉山三郎博士

写真提供:杉山三郎博士

 テオティワカン遺跡の発掘プロジェクトにおける杉山氏の功績は大きい。杉山氏が関わった月のピラミッドの発掘でわかったのは、この巨大ピラミッドが約350年もの長時間をかけて出来上がったということだった。もともと小さなピラミッドだったものが約50年ごとに増築され、7回もの増築によって現在の形となったのだ。この増築は、王が変わるごとに行われてきたことがわかった。
 また、現在進めている発掘プロジェクトでは、月のピラミッドと太陽のピラミッドの中間にある「石柱の広場」を掘り始めている。そして最近、そこからマヤの壁画が出てきた。このことからマヤの人々がテオティワカンに住んでいたなどがわかってきた。また、月のピラミッドからもマヤの位の高い者がつけているペンダントが発掘されている。

写真提供:杉山三郎博士
 
波乱の人生

 杉山氏の人生には、一つの決まった線路の上を走るような生き方でなかった。自分で自分のレールを作って、そのレールを走っては、再び自分の前のレールを作り直すという波乱に富んだ、またそれだけに味わい深いものを創出してきたようだ。
 それは、氏の職業だけでなく、私生活でも同様だった。
1975年にやはり日本人の考古学者としてメキシコに渡っていた久美子さんと会い、結婚。メキシコで一男二女をもうける。杉山氏が米国の大学院に進むために渡米することになると、久美子さんもメキシコの大学院を中退して、アメリカに移住した。ところが、2011年に急病で逝去してしまった。
 杉山氏の人生にとって、大切な伴侶を失うということは、厳しい試練の時であったに違いない。その試練を乗り越えて、昨年、再婚。
新たな伴侶となった女性は、登喜子さん。実は、登喜子さんと杉山氏は、高校の同級生だった。静岡県の藤枝東高校に入学した杉山氏は、実は、登喜子さんを見て初恋に陥った。ある日、登喜子さんの家に突然現れた15才の若き杉山氏は、その恋の心を彼女に伝えたという。彼女は、突然でただ驚くだけだった。
登喜子さんは、「もし私があの時、付き合うことに同意して、将来結婚でもしていたら、今の杉山はありません。」と言う。
 高校卒業後、お互いに会う機会もなく、長い年月が過ぎていた。ある日、登喜子さんは、NHKの番組で紹介されている杉山氏を見て、「びっくりした」。その画面に映される杉山氏の姿は、高校生だった時の彼とは全く違う、まさに成長した素晴らしい人間像だったからだ。テレビが伝える考古学者としての人間の聞き方に感動したようだ。
昨年、15才の時の初恋の相手と結婚して新たな人生の幕を開く杉山氏。「いつか若手の研究者を育て、二人でゆっくりできる時を」と登喜子さんに一言。しかし、また新しいテオティワカンのプロジェクトに取り組み始めた彼は、永遠に時のロマンを求めて生き続けるに違いない。

講演会後の記念撮影。杉山氏の左隣が登喜子さん
   
フェニックス美術館、テオティワカン展

「テオティワカン、水の都市、火の都市」というタイトルで展示会が始まった。数多くのテオティワカン遺跡からの出土品が展示されている。必見の価値あり。
展示会の詳細は、下記の通り。
場所:Phoenix Art Museum, 1625 N. Central Ave., Phoenix, AZ
会館時間:月曜日:休館
               火曜日:午前10時から午後5時
               水曜日:午前10時から午後9時
               木曜日:午前10時から午後5時
               金曜日:午前10時から午後5時(ただし第一金曜日は午後10時から午後10時まで)
               土曜日:午前10時から午後5時
               日曜日:正午から午後5時
展示会は、明年1月27日まで。