暖かい人の心を結ぶ音楽を、田川徹さん

 「楽しみにしてました」と市民が三々五々、ツーソンの教会に集まってきた。小さな子供を連れた主婦もいれば、若いカップル、老夫婦など、人種も白人、黒人、アジア人など、多様な人たちが次々とやってくる。このコンサートは入場無料。しかし、ほとんどの人たちがチェックや現金を、受付に用意された基金用のカゴの中に入れて行く。ツーソンレパートリーオーケストラ(Tucson Repertory Orchestra)が年2回開催しているコンサートが、いよいよ始まろうとしている。
今日の演奏曲目は、ベートベンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」とドボルザークの交響曲第9番「新世界より」。
 このコンサートの1時間半前には、ファミリー・コンサートと称して、子供連れの家族を対象にしたミニ・コンサートも開かれていた。小さな子供がいると中々コンサートに行けない若い家族の人たちにも、音楽を楽しんでもらおうとの趣旨で、クラシックだけでなく、ポップ音楽も公演している。音楽に合わせて会場を走り回る子供達もいるとのことだ。
 このオーケストラのメンバーは、全員ボランティアだ。一人一人の職種も様々で、プロの音楽家になっている人も入れば、教師、エンジニア、学生など多種多彩の顔ぶれである。
 さあ、いよいよコンサートがスタートした。
 今月は、ツーソンレパートリーオーケストラの創始者であり、常任指揮者である田川徹さんを訪ねて、お話を聞いてみた。

田川さん指揮のツーソンレパートリーオーケストラ

 

「音楽の良さを皆さんに知ってもらいたい」
 田川さんがツーソンレパートリーオーケストラを立ち上げたのは、2011年。そして、翌年2012年からコンサートを始めた。
 “大学で音楽を専攻したといっても、全員がオーケストラで演奏できるとは限らない。全く違う職種についているような音楽家や、中々オーケストラで演奏するチャンスのない音楽家もたくさんいる。こうした人たちに、ツーソンレパートリーで思い切って演奏できるチャンスを提供したい。また、若いこれからの音楽家たちに、プロと一緒に演奏できる貴重な機会も提供できる。しかも、日常生活に追われて音楽をゆっくり楽しむ機会が少ない家族もたくさんいる。このような一般市民にも気軽に音楽の素晴らしさを味わってもらいたいから” という思いがあった。
 

 

ナショナルレパートリーオーケストラ(National Repertory Orchestra)

 

 コロラド州にナショナルレパートリーオーケストラというユニークなオーケストラがある。田川さんもここで腕を磨いた経験がある。
 この管弦楽団は、もともとは、若手音楽家たちを育成することを目的に創立された楽団だ。1960年、チェロ奏者で指揮者でもあったウォルター・チャールスが「ブルージーンズ・シンフォニー」という名前で楽団をスタートさせた。
 コンサートでは、演奏者は、ブルージーンズを履いて演奏し、指揮者のチャールスは、ジーンズの会社、Levi-Strauss社が彼のためにカスタムメードしたデニムを着用した。彼のユニークな音楽家育成プログラムは、成功の道を歩み、1966年には、「コロラド・フィルハーモニック・オーケストラ」と改名した。
いかなる団体も成長の過程で転換期を迎えるものだ。このオーケストラもその時期がやってきた。1977年に創始者のチャールスとオーケストラの理事会の間で不協和音が発生した。あくまでもクラシック音楽の演奏に固執するチャールスと、より幅広い分野の音楽や軽音楽を取り得れようとする理事たちがオーケストラの方針で合意できなくなっていた。そしてついに、理事会は、チャールスを罷免することに決定した。
 翌年1978年に、組織の改編を行ったオーケストラは、新たにクラリネット奏者で指揮者のカール・トピローを音楽ディレクター兼指揮者として採用することになる。また、営業マネージャーも雇用し、ここに学ぶ学生が一日12時間を練習やリハーサル、コンサートに費やすことができるように、俸給と奨学金の制度を作り上げた。そして、ポップス音楽などを街角や空き地、そしてショッピングモールなどで公演するようになった。
 1985年には、米国芸術基金が創立20周年記念コンサートをワシントンDCのケネディー・センターで開催した折、その会場でコロラド・フィルハーモニック・オーケストラに演奏する機会が与えられた。
 1986年、当オーケストラは、「ナショナルレパートリーオーケストラ」と改称した。1988年の韓国ソウル・オリンピックでは、唯一のアメリカのオーケストラとして招待され、演奏を披露した。その後、台湾と日本にもツアーで訪れている。
 現在、コロラド州のブレッケンリッジを拠点にし、個人や企業のスポンサーと米国芸術基金からの補助金を受けた非営利団体として、若手音楽家の育成に貢献している。毎年、18歳から29歳の音楽家の卵たち900人が応募し、その中から88名が選ばれて、8週間のプログラムを経て音楽教育を受けている。

   
 
ツーソンレパートリーオーケストラの立ち上げ

 田川さんは、2001年の夏、コロラドのナショナルレパートリーオーケストラで素晴らしい経験をすることができた。
他の人たちにも、たくさんのレパートリーを演奏できるような機会を作りたいと思っていた。
 そんな田川さんにある友人の誘いがあったのだ。田川さんは、ツーソン交響楽団でよく客演していたが、そこによく一緒に同席したフルート奏者のリンダ・ドーティー・ナイフェルさんがいた。二人は、時々、「ロマン派の音楽をもっと演奏できたらいいね」と夢を語り合った。
その彼女が、ある日、田川さんに「オーケストラを始めませんか?」と話を持ち込んできた。そして、田川さんに指揮をして下さいと頼んだのだ。これが切っ掛けだった。
 かつて田川さんがナショナルレパートリーオーケストラにいた時の素晴らしい思いが蘇っていた。
 ナイフェルさんは、当時、アリゾナオペラオーケストラやツーソン交響楽団で客員奏者として活躍していた。そして田川さんと同じように、スタンダードの音楽や、昔よく演奏していた曲などを再演できたら、と思っていた。二人は早速、オーケストラをスタートさせることにした。田川さんは絃楽器、ナイフェルさんは木金管楽器のリクルート担当者となった。2011年のことだった。

 
 
コンサートをスタート

 オーケストラを始めた当初、演奏者の人たちに演奏する機会を提供するということが第一目的だった。ところが、半年が過ぎた頃、演奏はお客さんと一緒に楽しむものである、と気づき、コンサートを始めることにした。
 第一回のコンサートは、2012年7月14日に開催した。場所はセントマークス教会。そして、曲目は、エルガーの弦楽セレナード、シューベルトの交響曲第5番、そして、モーツァルトの交響曲第40番だった。無料コンサートに集った多くの市民は、音楽鑑賞をじっくりと楽しみ、このオーケストラの存在に感謝した。田川さんの思惑通り、演奏者と観客が同時に楽しむ機会が誕生したのだ。

下川れいこさん出演のチャイコフスキーのピアノ協奏曲(2014年)Photo courtesy of James Andrada
家族コンサート

 その頃、田川さんに息子さんが誕生した。そして、自分の息子が来れるようなコンサートができたら、と思うようになった。そこで、2013年にファミリー・コンサートをスタートさせた。これは、子供達のためでなく、幼い子供を抱えて、中々クラシックコンサートなどに来れない家族のために、家族全員で楽しめるコンサートを提供しようとするものだった。今では、このファミリー・コンサートもツーソン社会に定着した。

 
 
田川さんと音楽

 田川さんは、広島県広島市出身。6歳の時からバイオリンを始めた。9歳の時に倉敷ジョニアフィルハーモニーオーケストラに入団した。このオーケストラは、1975年4月に「子供のためのヴァイオリン教室」として倉敷公民館内で発足したのが源。その後、1984年に倉敷ジュニアフィルハーモニーオーケストラとして結成された。このオーケストラは、バイオリン奏者の安藤律子さんとその夫でビオラ奏者の江島幹雄さんが創立者だ。田川さんは、その第1期生として入団した。

   
田川さんとアメリカ

 田川さんのお父さんは、サラリーマンだったが、音楽、とりわけジャズが大好きだった。そんなお父さんに早期退職の機会が来て、それならジャズの本場、アメリカへと、1992年に一家全員でボストンに引っ越して来た。その時、田川さんは17歳。そして、ボストンの高校を卒業後、オクラホマ州タルサ大学、フロリダ州立大学院で音楽を学ぶ。そして、ツーソンのアリゾナ大学で音楽教育学を専攻し卒業した。
 バイオリン奏者として、ルイジアナ州シュリーボート交響楽団、アーカンソー交響楽団に在籍し、フリーランサーとして広島交響楽団、バンクーバー交響楽団、アリゾナオペラオーケストラ、ツーソン交響楽団、ツーソンポップスオーケストラなどでバイオリン演奏活動を続けてきた。

無料コンサートを終え、カメラに収まる田川夫妻

セドナでの結婚式(2002年)

広島にて(2002年)
ローラさんとの出会い
 田川さんがフロリダ州立大学院で学んでいた頃、同じ大学院で修士課程を取っていたバイオリン奏者、ローラさんと出会った。1998年の話だ。そして、2002年にセドナで結婚。2004年には、田川さんが広島交響楽団で演奏するため日本へ。ローラさんは、広島にジェット・プログラムで来日。1年間日本の学校で英語を教えるという経験をした。
   
ローラさんとバイオリン

 ローラさんは、アリゾナ州のメサで生まれ、テンピで育った。7歳でピアノ、8歳でバイオリンを学び始めた。テンピの高校を卒業後、フラッグスタッフの北アリゾナ大学に進学。そこで学んだのがスズキ・メソードだった。これが、ローラさんの人生に大きなインパクトを与えた。

   
スズキ・メソードとは

 鈴木鎮一というバイオリン教授が帝国音楽大学にいた。日本社会は、軍事色が強くなり、まもなく、第二次世界大戦へ突進していく頃である。1930年代に鈴木は、子供達にバイオリンを耳から教える母語教育法を確立していった。それは、子供達に楽譜を読ませるのではなく、母国語を耳で学んでいくように、音楽も耳で学ぶという、誠にユニークが教育方法である。
 鈴木は、第二次世界大戦中に疎開した長野県松本市に、戦争後、松本音楽院を開設した。同時に、全国幼児教育同志会を発足し、2年後の1948年に才能教育研究会と改称。1950年に「社団法人才能教育研究会」として政府から認可され、いわゆる「スズキ・メソード」の普及団体が出来上がった。

   
鈴木が海外へ

 鈴木は、1964年から毎年10人の子供たちを海外演奏旅行に連れて行った。子供達は、5歳から13歳までの生徒で、1994年までの30年にわたり20カ国384都市でコンサートを483回も行ってきた。その中から著名なバイオリニストが生まれている。
 アメリカでは、第一回世界大会がハワイで行われ(1975年)、日米親善コンサートに100人の児童をアメリカに連れて行った(1978年)。

   
アメリカのスズキ・メソード

アメリカ各地では、このスズキ・メソードが音楽教育の中で取り入られ、現在は、日本の生徒数をはるかにしのぐ数の児童がアメリカの地で学んでいる。ちなみに、1999年の米映画「ミュージック・オブ・ハート」で、主人公のバイオリン教師が用いたのが、スズキ・メソードだった。この映画の主人公は、アカデミー賞受賞女優、メリル・ストリーブが演じた。

   
ローラさんのスズキ・メソードとの出会い
 前述のように、ローラさんは、北アリゾナ大学でルイース・スコット教授の指導のもとに、スズキ・メソードを習得した。その後さらに、スズキ・メソード指導者に師事し、長野県の松本で毎年行われている夏期学校にも参加した。
 現在、彼女は、スズキ・バイオリン教師として登録されており、アリゾナ・スズキ・アソシエーション会長、シャパラル・スズキ・アカデミーのディレクターを務め、アリゾナで様々なワークショップや夏期研修を開催している。
   
ローラさんと日本
 ローラさんは田川さんと出会う前から、スズキ・メソードを知り、日本に関心を持っていたが、田川さんと結婚後、日本で1年間過ごした体験は、ローラさんにとって誠に貴重なものとなった。
 日本の文化を深く知り、それだけでなく、アメリカのこともアメリカを離れてよく知るチャンスになったと言う。
 そして、彼女は、夫である田川徹さんの大きなビジョンと行動力に感謝し、強い協力者となっている。
   
オーケストラの日本ツアー
 前述の「倉敷ジュニア・フィルハーモニーオーケストラ」が創立30周年記念の演奏会を行った(2014年)。すでに海外で活躍している音楽家もいれば、日本交響楽団の団員もいた。そこに田川さんも招待されて、帰国した。その時に、田川さんがオーケストラの創立者であり、田川さんの恩師でもある江島幹雄先生と安藤律子先生に、「ツーソンレパートリーオーケストラの日本ツアーを考えています」と話したところ、「では、安藤先生の田舎に来なさい」ということになった。田舎というには、岡山県の吉備中央町という人口1万人余の小さな町のことだった。
 こうして2015年に初めて日本ツアーが実現した。この小さな岡山の町が全町あげてツーソンからの演奏家を大歓迎し、多くのボランティアが献身的にツアーの一切を支援してくれた。この町には、1,000席のコンサート会場がある。しかし、今まで一度もオーケストラが来て演奏したことがないという町だった。その会場で、ツーソンレパートリーオーケストラが演奏を披露した。これは、町民にとっても素晴らしい経験だったが、ツーソンから行ったオーケストラのメンバーにとっても、日本の田舎の演奏経験は、忘れられない貴重な体験となった。吉備中央町とツーソンの庶民の繋がりが音楽を通して可能となったのだ。そこには、大都市の有名交響楽団が他の大都市の有名会場で演奏するよりも、はるかに人間の暖かい心の通った交流の機会が生まれ、それだけに皆の喜びも大きいものとなった。
   
本年も日本ツアーへ
さて、本年も日本ツアーが実現する。
今回の予定は、下記の通り。
7月6日:ツーソンレパートリーオーケストラとアミーキティア管弦楽団 国際交流コンサート
(大阪府箕面市)
7月7日:ツーソンレパートリーオーケストラ演奏会
(岡山県吉備中央町)
7月8日:ツーソンレパートリーオーケストラ国際交流コンサート
(岡山県吉備中央町加賀中学校)
7月11日:ツーソンレパートリーオーケストラ国際交流コンサート
(愛知県名古屋市)
7月13日:国際交流コンサート広島公演
(広島県広島市)
   
人と人をつなぐ音楽

地元紙で紹介されたツアーの模様
 インターネットが私たちの生活に欠かせないコミュニケーション手段となった今日。フェイスブック、ツイッターなどソーシャルメディアの発達が実に便利な意思表示の道具として定着しているのが現代社会だ。アメリカの大統領でさえ、ツイッターで何を言ったかがニュースで毎日のように報道されるようになった。
 ところが、私たちは知らず知らずのうちに心が分断され、実際に人と会って友好を楽しみ、人間性を深くすることを避けるような傾向性が著しく高まっている。人間の孤立化と社会の分断化の危険性を多くの知識人や報道関係者が指摘しているが、それに歯止めをかける行動が中々見つからないでいるのが現状だ。
最近、日本政府の内閣府が発表した面白い意識調査がある。「若者にとっての人とのつながりに関する意識調査の概要」というセクションで、二つの視点から若者の意識を分析している。
 一つは、「ほっとできる、居心地の良い場所としての『居場所』の存在」。そして二つ目は、「悩みを相談できるなど他者とのつながりの状態」である。
若者が「居場所」として挙げているトップは、「自分の部屋」で、次が「家庭」、そして「インターネット空間」が続く。生活が充実していると回答した者の割合は、「居場所」と感じている場の数が多くなるにつれて高まっている。つまり、自分の個室や家庭、そしてインターネット空間以外に職場や学校、そして地域などに「居場所」を見つけている若者は、それだけ、人生の充実度が高いということがわかった。しかも、「居場所」の数が多い若者は、自己の将来像も前向きに描いていて、生活の自立、社会への貢献度、対人関係などに明るいイメージを持っている。
 また、「悩みを相談できる人」がいると感じている人は、「10年後になりたい自分に近づいている」と回答する割合が高くなっている。
 田川さんが進める無料コンサートにせよ、日本ツアーにせよ、バラバラに生きている人間が音楽を通して心をつなぎ、皆が一緒に喜ぶ機会を創造している事実は、極めて価値の高いことではないだろうか。日本からきた一人の若者がツーソンの地で始めたこの運動に、今後の期待はさらに高まるに違いない。
 ベートベンの「皇帝」に続き、ドボルザークの「新世界から」の演奏が終わった。と同時に、コンサートに集まった市民は全員が総立ちし、拍手が会場いっぱいに鳴り響いた。一人のお客さんがステージに駆けつけ、田川さんに花束を贈呈する。その後、多くの人が今日の演奏に感謝して、再びそれぞれの生活に戻って行った。
 田川さんの7歳の息子さん、マックス君が大学に行く頃までには、どのような社会が待っているのだろうか。少なくとも両親の「社会への貢献」の行動をしっかりと見極めていく若者に育っているに違いない。